気まぐれ日記 07年7月

07年6月はここ

7月1日(日)「久々のトレーニングで余命を知る・・・の風さん」
 カレンダーでいえば、今日から1年の後半に入る。後半も超超超……多忙になりそうな感じである。
 久しぶりに体育館にトレーニングに行った。記録表を見ると6月は一度も行ってなかった。
 エアロバイクにまたがってヒーヒー言いながら漕いでみた結果、心肺能力がピーク時の50%に低下していることが分かった。運動不足と老化である。このままで行けば、鳴海風は老衰でこの世から消えるだろう。
 続けて、腹筋、背筋運動をやって、ラットプルダウン、レッグプレスをやったところで、フルメニューを断念。バタフライとカーフレイズとストレッチで終了することにした。
 隣接する図書館に寄って、新刊の新鷹会アンソロジー『武士道日暦』を寄贈してきた。図書館のパソコンで「鳴海風」を検索したらヒットするように登録してください、とちゃっかりお願いしてきた。
 急遽依頼された「大衆文芸」用のエッセイを電子メール添付で送信した。7月号に掲載される……って、もうすぐ発行じゃないか!

7月2日(月)「また1週間が始まった・・・の風さん」
 早起きして、『数学通信』用の原稿の下書きに着手。
 そして、久しぶりの出社。最近、有休をじゃんじゃん取得しているので、会社における存在価値がどんどん低下している(おっと、ここで「じゃんじゃん」とか「どんどん」といった表現を使ってしまったが、こういった言い回しはやめなさい、と平岩先生に再度注意されたばかりだった)。
 職場には神棚があるので、1週間の安全祈願をし、ラジオ体操をやって、それから定例の週一朝ミーティング。
 その後も間断なく会議が終日続いたが、その合間合間を利用して内職……するのが生活の知恵なのだが、今日は何もできず。未読メールの山崩しに終始した。

7月3日(火)「無人の電話同士の会話?・・・の風さん」
 昨日に続いて早起きして、『数学通信』用の原稿の下書き。まだかなりかかりそう。
 30日に五大路子さんを長谷川伸邸にご案内したときの写真の郵送を、ワイフに頼んで出勤。
 昼前に製作所から本社へ出張し、昼休み時間に重役と打ち合わせ。
 昼食後、夕方の社長報告までの時間を利用して、半分作家になったり、学生になったりした。これはどういう意味かというと、こうである。
 会社の某部署から作家として社外で講演してほしいというありがたい依頼を受けていて、その打ち合わせをしてきた。相手にとっては会社の仕事であり、こっちにとっては作家業であるが、同じ会社員だから依頼されている面がある。だから、半分作家と言っているのだ。ま、どっちにしても感謝すべき内容だ。講演は10月末である。
 もう一つは、何のことはない、空いている時間を利用して論文を読んだということ。
 この間に、不思議なことがあった。
 最近カバンにほうりこんだままにしているケータイに、五大路子さんからの着信記録があった。昼休みにこちらから電話したので、何か言い忘れたことでもあったのかと思った。留守電センターへの録音もあった。早速かけて再生して聞いてみると、ザーッ、ゴーッといった何ともいえない、重苦しい音が入っているばかり。しかも、1分、2分と聞き続けてもそればかりで、怖くなった。まるで地獄か宇宙の果てからのメッセージのような感じだった。
 それでも、気になって、こちらからかけてみると、応答がなかった。
 しばらくして、五大さんから電話がかかった。
 「電話、何でした?」
 と聞いてくるので、
 「五大さんこそ、何でしたか? 留守電に変な音が入っていましたが」
 と応じたら、
 「電車の中でバッグに入れるとき、わたし、そちらへかけるボタンを押してしまったみたい……」
 とのことだった。つまり、五大さんも気付かないうちにバッグの中で私へ電話がかかり、私のケータイもカバンの中でそれに応答し、留守電センターへ転送、五大さんのケータイはバッグを通じた電車内の騒音を延々と私の留守電センターへ録音し続けた……。
 無人の電話同士の送受話という、笑いたいような泣きたいような、何とも奇妙な出来事だった。
 夕方から社長報告をした。同僚がほとんどしゃべってくれたので、私は楽だった。
 定時後は、退任する副社長の謝恩会と常務役員の専務昇格祝賀会の合同パーティーに出席した。役員の昇格は良いが、退任は寂しいものがある。随分とご指導いただいた方だったので。早く帰宅したかったので、ミッシェルで出かけ、アルコールは飲まなかった。

7月4日(水)「早寝しようと思ったのに…(涙)・・・の風さん」
 会社の診療所で定期的に血圧検査を受けているが、ここ1年間とても安定している。今朝も上が110台で、下が70台だった。あちこちから私の健康状態を心配するありがたい声がよく寄せられるが、これなら大丈夫、ぽっくり死ぬことはありません(^_^)。
 そうは言っても昨今、夜になるとウルトラマンの私の胸のカラータイマーは赤が点灯し始める。そろそろ風呂に入って寝て、明日も早朝から頑張ろう、と階下に降りたら、次女に先を越された。仕方なく、また書斎に逆戻りして執筆の続きを再開しようとしたら、ドアをノックする者がいる。
 幽霊のような長男がのっぺりした顔を覗かせて、
「プリンターが動かない」
 とポツリ。
 こいつは、私のDNAを受け継いでいないらしく、機械も電気もからきし駄目なのだ。
 舌打ちして、サンルームにある共用パソコンを見てみたら、エラーメッセージのランプが点滅している。
「あ、プリントヘッドの故障だ」
 2台目のプリンターで経験済みの故障である(このプリンターは3台目。書斎にあるのは4台目だ)。とりあえず、ヘッドを外して、基板の接触部分をアルコールで拭いて再装着してみたが、直らなかった。さらに、古いプリントヘッドを2台持ってきたが、カートリッジの互換性はあってもヘッドの互換性はなく、お試し装着は不可能だった。ところが、この確認をしている間に、手とTシャツをインクで汚してしまった。Tシャツは大損害だな。
 最後の点検で保証書を確認すると、3年保証に延長してあったが、購入から4年半が経過していて無償修理は無理と判明した。
 ボーっと立っている長男が、印刷をしたがっていたので、止むを得ず、メディアにファイルを入れて、書斎のパソコンから印刷してやった。漫画のセリフの吹き出しだった。なんだ、まだ漫画を書いているのか。
 この頃には次女が風呂から出ていて、私の就寝時間はどんどん過ぎていたが、仕方ない。
 インターネットでプリンターのプリントヘッドを検索し、信頼できそうなショップで購入し注文した。約6500円だった。何しろ、このプリンターでしか使えないインクカートリッジの予備をどっさり購入してあるので、プリンターごと更新してしまうのは、今回はやめにした。
 すべて処置が終わって、やっとシャワーを浴びて……、就寝時刻は午前零時を回ってしまった。やれやれ。

7月6日(金)「激動の1日・・・の風さん」
 梅雨の真っ只中にいるが、九州地方では豪雨、当地はいささか水不足になりかかっている。地球全体の環境危機が叫ばれているように、グローバルには温暖化や不均衡が進んでいるのだろう。一方、ローカルでも自然災害が多くなっている気がする。
 今朝も早起きして『数学通信』向け原稿の下書きに取り組んだが、その下書きすら半分もできていない。しかし、明日は本山キャンパスで大野先生とゼミなので、これからは明日の準備に専念するしかない。会社でも寸暇を惜しんで論文読みをしなければ……。
 朝一番から二つの会議が続いて激論となった。時間切れ。続いて、本社から某部署の部長がわざわざうちの職場に指導に来てくれた。とてもありがたいことだ。逆にいえば、それだけうちの職場は非力ということになる。そうこうしている間に、昨日からの品質上および安全上の問題が急浮上して頭を痛める。昼食もそこそこに、論文を読もうとしていたら来客。一時間ほどで終えて、席に戻ると、製作所のISO14001サーベイランス審査の一環で、うちの部署も審査を受けた。審査員のインタビューを受けた後、現場を案内した。その後、製作所全体の審査のクロージング・ミーティングがあり、うちの職場は製作所の足を引っ張ることはなかった(やれやれ)。さらに定時後には、上司である役員がうちの職場を訪れて、月に1回の現場指導をしてもらった。週末の定時後でも、トップは喜んで指導してくれるし、上下の関係は良好である。
 結局、論文を盗み読みするヒマもなく1日が矢のように過ぎ去った。さっさと退社し、ミッシェルに給油して帰宅した。
 帰宅したら、先日壊れてすぐネット注文したプリントヘッドが届いていた。夕食後に装着しようとしたら、ぎょぎょっ! プリンターの電源が入りっぱなしである。長男の奴、壊れて使えないものだから、電源も切らずにそのままカバーをかけてしまったようだ。愚か者め! ま、とにかく慣れた手付でプリントヘッドを交換して、6本のインクカートリッジも装填し、お試し印刷してみると……見事に印刷できた(^_^)。プリンターが直ったことはしばらく長男にはナイショにしておこう(笑)。
 
7月7日(土)「小樽でデビューするぞ・・・の風さん」
 6時前に起床。今日のゼミのための作戦を練る。もう時間がないので、半月前に入手したアブストラクトを整理して、フルペーパーの複写が必要なものを抽出することにした。アブストラクトだけで26本。印刷したらA4で18ページもあった。
 荷物は多いが、今日も電車で行くことにした。無人駅だった最寄の駅に自動の券売機と改札口ができていた。学割の定期券でさっと通過。気分いいー!
 行きの名鉄と地下鉄の車内はもとより、昼食を摂ったファーストフードの店でも、アブストラクトの選別を続けた。参考になりそうなものを選抜するのである。ギリギリで作業を終えた。
 本山キャンパスに着いたら、高校と大学の大先輩になる石井先生とエレベータの前でバッタリ。
 「こんにちは」
 「先生。今日は何ですか」
 こんにちは、と言ったのは私で、今日は何ですか、と聞いてきたのは石井先生だ。つまり、大先輩から私は先生と呼ばれたわけ。年とっているからなあ(涙)。しかし、秋田訛りの抜けない石井先生には本当に親しみを感じる。
 事務室で今日も私が出ているパンフレットを10部もらった。もらってももらっても減っていくのだから仕方ない。私は愛工大大学院経営情報科学研究科の客寄せパンダである(^_^)。
 大野先生との二人ゼミは3時間に及んだ。日本経営工学会の秋季大会にデビューするためのシナリオの検討が中心になった。ひと工夫必要だが、何とかなるだろう。秋季大会の会場は小樽である。
 大野先生に、お中元代わりに『武士道日暦』を謹呈した。現在、『数学通信』向けの原稿や文庫の書き下ろしに取り組んでいること、秋には3つぐらい講演をこなす予定であることを話したら、呆れて物が言えないようだった。
 帰りの電車でベストセラーの新書『人は見た目が9割』を読み始めた。なかなか面白い。
 夕食後、テレビで『シックス・センス』が始まった。冒頭のシーンを見て、「ああ、こういう話だったのか」と思い出した。こういった面白い小説を書きたいものである。明日のために今夜も早寝した。

7月8日(日)「やっと調子出てきたかも・・・の風さん」
 昨日で学業を一段落させたので、今日からは長編執筆に復帰である。トレーニングに行っている余裕はない。久しぶりに印刷原稿を広げ、先日の出版社との打ち合わせメモを確認しながら書き出す。面白くしてくれ、というのが最大の注文なので、資料調査は不要である。地の文になっている場面を、会話を主体にした構成に修正していく。すると登場人物が立体的に立ち上がってくる。……しめしめ、この調子だ。
 ペースが上がってくると、別の懸案事項にも神経を払う余裕が出てくる。『数学通信』向けの原稿である。次回のゼミとスケジュールが重なっているので、何とかしなければ、と思った。締め切りは20日の金曜日である。どうせ週末なら、翌週の月曜日の朝に届いていればいいのではないか、と自分に都合の良いことを考えた。思いつくとすぐ行動するところが軽率……じゃなかった機動力のあるところだ。早速、『数学通信』の編集責任者の先生へメールをしたためた。東大の数学の先生のはずである。すると、待つほどもなく返信が来た。OKである。やった〜! 先生、ありがとうございます。
 
7月9日(月)「『灰色の北壁』にはまっている風さんの巻」
 就寝前のショートタイム読書は、真保裕一著『灰色の北壁』。なかなか面白い。それで、夕べも就寝時刻がやや遅くなってしまった。しかし、何とか早起きして、朝食前に30分間だけ執筆をやった。
 毎週月曜日の恒例行事。出社してすぐ職場の神棚に安全祈願。現場の人たちと一緒にラジオ体操をしてから、週一の朝ミーティング……、こうして、一日が矢のような速度で過ぎ去った。昼休みも途中休憩もほとんどない。ただし、昼休みに光文社文庫編集部に所要で電話だけはできた。
 小説とは別の本の出版話があって、先週その企画会議があった。結果はまだ検討中とのことで、いくつか私へ注文があった。現在、超多忙の私にとっては、懸案事項があって遅れていることはかえって助かる。しっかり企画段階で揉んでもらって良い本にしなければ、と思う。帰宅して、その出版社へ参考資料を送付した。スキャナーで読み込んでpdfファイルにしたものを電子メール添付で送信したのである。便利な世の中だが、こういうことがちゃちゃっとできないと、私のような力のない作家は見捨てられてしまう。
 夕食後に、書斎で雑用をしているうちにどんどん時間が経過。夕べとよく似たパターンで、『灰色の北壁』を読んでから就寝。

7月10日(火)「毎日雨降りが続くけれど・・・の風さん」
 ここのところ梅雨らしい天気で、毎日のように雨が降る。会議が続くのは気が重いが、外が雨だとオフィスラブ……じゃなかったオフィスワークでもいいか、という気になる。午前中はかなりビジネスレベルの高い戦略会議で、午後からは関係会社の人たちと開発会議、続いて本社へ移動して、ビジネスパートナーとの打ち合わせ。ということは、今日も社内メールはほとんど読めない。
 そぼ降る雨の中を一目散に帰宅した。
 昨日参考資料を送付した出版社の部長へ、検討中の企画に対する私自身の見解をメールで伝えた。
 夕食後、執筆の続きをやった。ちょっとペースダウンしている。急げ、急げ。

7月11日(水)「名著『和算の歴史』が復刊・・・の風さん」
 今日も雨だった。ときどき強く降った。「雨ニモ負ケズ……」という言葉を思い出す。
 ワイフのクルマの修理が終わり、受け取ってきた。小さな破損や細かな傷までしっかり修理されていた。部品代もかかったが、塗装代や工賃が高く、総費用は数十万円である。しかし、何でもありの車両保険に入っていたので、当方の負担はゼロ。保険の等級は20から17に戻ったが、来年度の保険額には影響はないとのこと。あとは、事故の記憶が一日も早く消えることだ。なるべく早くクルマの御祓いに行こうと話し合っている。
 帰宅したら、『算法少女』のようにちくま学芸文庫で復刊された平山諦著『和算の歴史』が届いていた。巻末の解説を書かれた鈴木武雄先生からの寄贈である。初版の『和算の歴史』は、日本歴史新書シリーズの第26回配本として至文堂から出版された。昭和36年のことで、定価は320円だった。私は、安城市立図書館の開架でこの本と出会ったことで、『円周率を計算した男』を執筆することができ、作家デビューを果たした。現在、同図書館で『和算の歴史』は閉架になっているという。古書店でも入手が困難になってきている名著『和算の歴史』の復刊は本当に喜ばしい。

7月12日(木)「午後有休は何のため?・・・の風さん」
 今朝も5時半に起床して、1時間あまり執筆したが、なかなかはかどらない。
 10月の文庫書き下ろしへ向けて執筆ピンチになっている私は、急遽、今日の午後を有休にして退社した。
 自宅到着は午後2時である。さあ執筆だ、と言いたいところだったが、最近の無理がたたってか、何とも体調がすっきりしない。少し休憩をと思ってソファで横になったら寝てしまった。
 2時間ほど昼寝して起きたら、庭のログキャビンに設置してあるエアコンが壊れたとワイフが報告してきた。「歩く電器屋さん」を自称する私だが、状況を聞いただけで深刻な事態だと直感した。そもそも購入してから10年が経過している。
 現在、じめじめした梅雨の真っ只中だし、夏も近い。ログキャビンでトールペインティング教室を開いているワイフとしては、1日も早くエアコンが使えるようにならないと困る。何しろ、トールペインティングの工程の中には、何度もドライヤー乾燥があるのだ。狭いログキャビン内は熱気でいっぱいになる。
 早速、私がよく利用する大型電器店に電話して最短工事日を確認すると「在庫があれば、明後日」ということだったので、すぐにワイフとミッシェルで高速を駆け抜けた。
 無事購入と工事手配が終わって帰宅してみたら、いつもの帰宅時間と同じになっていた。なーんだ、今日の午後有休はこのために運命的に用意されていたのか……。
 日本評論社から『数学セミナー』8月号が届いた。お勧め数学関係書籍特集の中で、『綴術算経』を紹介したので、その見本誌である。数学の先生がたの中に混じって、小説家が孤軍奮闘した形だが、なんとなく私のページだけが(参考文献もついていて)論文調なのは皮肉である。

7月13日(金)「雨の中ごくろうさん・・・の風さん」
 台風4号が接近しているし、梅雨前線も刺激されていて、連日雨である。南の地域では被害が出ている。
 今朝も早起きして執筆をした。速くもなく遅くもないペースだ。一方、疲労感が増しているのが分かる。小説はある程度機械的な作業の側面もある。だからといって、短調な繰り返し作業とは異なるので、あれこれ考えながら文章を作っていく。常に推敲しているのだ。だから、けっこう疲労する。受験時代、体を動かさなくても空腹になった。夜食をしっかり摂らないと勉強が続かなかったものだ。今は、食べたらダメ。眠くなるし、太る。疲れたら寝るのがベスト。それで、いつの間にか朝型になってしまった。トシか……(^_^;)。
 今日は名古屋へ出張。JMAの企業視察に同行した。近くてもこれまで行ったことがなかった三菱電機名古屋製作所である。ここには今でも大学院時代に同じ研究室にいた友人が勤めているのではないだろうか。入社してから体調不良になった友人とは、その後の音信がほとんど途絶えている。健康は人生の大前提だと思うが、彼の場合は、学生時代ずっと合気道で体を鍛えていた。強靭なカラダを持っていたのだから不思議である。
 途中で昼食を摂って、雨がひどくないわずかな隙間に製作所の南門から入ることができた。
 見学会が始まる前に、ケータイで契約プロバイダーのサーバーに届いているメールをチェックしたら、知人からのメールに気付いたので、ケータイで返信しておいた。
 その後、雨がしっかり降ってきたが、見学は実に有意義であった。久しぶりに他社の量産それも自動化の進んだ工程を見ることができた。最近こういった仕事から遠ざかっているので、非常に懐かしい感じがした。若いときの感覚がよみがえり、しっかりメモしながら見学した。
 見学が終わって、ヘッドフォン・セットを返却して席に戻ったら、さっきまで使っていたシャーボがない! あれれ? また、いつものボケが出た。本当に老化はしたくないものだ……と思いつつ、シャーボが惜しいので、歩いてきた道を足元を見ながら逆戻りしてみる……が、ないものはない。最後に、返却したヘッドフォン・セットを入れる箱の中を覗き込んでみたら……あらら、しっかり入ってる〜(^_^)。
 見学後、いったん名古屋へ出た。京都大学の河合先生へ近況を入れた大きな郵便物を出した。三省堂書店で本を2冊買ってから、JRで刈谷へ向かった。今夜は職場の飲み会なのである。比較的大きな職場で、異なった目的で2箇所で同時に開催される。私は先約の方に出席することにして、もう1箇所の方はカンパだけにした。
 雨の中、電車を乗り継いで、10時半ころ帰宅した。

7月14日(土)「台風4号の影響・・・の風さん」
 7月としては最大級の台風4号が接近している。当地が最も危険になるのは明日だろうということで、色々なことを予定したが、すべて当てが外れた。
 いつも通りに早起きして、文庫長編書き下ろしの執筆の続きをやった。残り時間が少なくなっているので、焦りもあって、迷っているヒマはなく、どんどん書き飛ばす(笑)。
 大丈夫だろうと名古屋へ電車で出発。このとき、ミッシェルで行かなかったので、帰宅のときに苦労することになった。
 今回の雨の影響で、サンルームの壁からの水の滲み出しがひどくなった。工事業者へ電話したところ、最初は休業中とのことだったが、夕方、来てもらえた。しかし、詳細調査はで
きず、16日(月)に再調査となった。庭のログキャビンのエアコン更新は、予約通りに昼間来てもらえたが、さすがに工事できず、18日(水)に延期。
 本山キャンパスでは、当然と言えば当然なのだが、今頃になって同窓会の年会費納入を催促された。まだ学生会員なので、年会費は安い。しかし、卒業と同時にはね上がる。出身校が多い私は、こういった同窓会費だけで破産しそうである(笑)。補填の意味はないが、今日も大学院紹介パンフをもらってきた。
 夕方、帰宅する頃に雨がひどくなった。予想外の台風の移動速度と方向である。
 名古屋から名鉄電車に乗る私は、知多半島の南部へ帰る。観光ぐらいしか資源のない土地である。電車は、途中、富貴という駅で内海方面と河和方面に分かれるが、私が帰るのは内海方面である。
 雨の影響で、電車のダイヤが乱れていた。内海方面が富貴で折返し運転になっていたのである。そのため、乗車しようとしていた内海行き急行は、河和行き急行に変更になっていて、しかも遅れていた。その前に出発する内海行き特急が、富貴止まりに変更になっていて遅れて名古屋駅に入ってきたので「ええい、乗っちゃえ」とばかりに乗車した。その特急でとりあえず富貴まで行って降りた。駅員に「内海行きの普通は何分後ぐらいに来ますか?」と聞いたら、「もうすぐ内海行き急行が来る」と言うので、「内海行き急行は河和行きに変更になっている」と教えてやったら、キョトンとした顔をしていた。
 内海行き普通が到着すると言われたホームに移動してしばらくしたら、どんどん電車が入ってくるのだが、ほとんど客の乗っていない名古屋方面行きの特急や急行ばかりだった。こんな天候の日に観光客なんか来るものか。だから、客も乗っていないのだ。
 そのうち、普通が到着するホームが違うというアナウンスがあり、待っていた乗客はぶつぶつ言いながら移動した。
 やっとこ帰宅したときには、疲れきっていた。やはり、今日は、ミッシェルで出かけるべきだった。

7月15日(日)「とりあえず長編原稿を印刷・・・の風さん」
 新鷹会の勉強会のある日だが、多忙な私は、今日も欠席。しかし、猛速度で東へ進んでいる台風は、ちょうど勉強会のある時間帯に東京へ達する。皆が心配だ。
 今日は、とにかく執筆に専念するしかなかった。そして、少なくとも最後まで到達しなければならなかった。明朝に投函する予定なのだから。
 修正が完了したのが午前零時半ころだった。それから印刷を始め、エクスパック500に詰めた。夢中で作業したので、終わった頃には目が回っていた。
 階下へ降りて、久しぶりに水割りを作って飲んだ。頭はくらくらしていたが、とりあえず達成感が得られた。明日から『数学通信』向けの原稿執筆と学業に復帰である。

7月16日(月)「雨台風の次は地震・・・の風さん」
 今朝は早起きできなかった。それでも、出勤途中、コンビニで昨夜のエクスパック500を投函し、職場では毎週月曜日の定例行事をこなした。神棚への参拝とラジオ体操、週一ミーティングである。
 その後、職場の仲間全員の集合写真を撮った。大人数の写真で、貴重な記録となった。
 午前10時過ぎに、職場で大きな揺れを感じた。あとで新潟で震度6強の地震だったことを知った。東海地区での大地震が心配されて久しいが、新潟だけで連続しているのはどういうことだろう。かつて、中学生だった頃、秋田にいて新潟地震を感じた。授業中で避難の指示が出たが、揺れが続いていてまっすぐ歩けなかった。地震は怖い。
 定時後に、お世話になった役員の謝恩会があった。今朝の集合写真は、実は、この役員へプレゼントする色紙に貼り付けるためのものだった。この役員が作ったプロジェクトがここまで大きくなりました、というのを集合写真に写るメンバーの多さで表現したのだ。
 アルコールは飲まずにミッシェルで帰宅したが、昨夜の睡眠不足のせいか、フラフラで、シャワーを浴びてそのままベッドに倒れこんだ。

7月17日(火)「時間を見つけて学業も・・・の風さん」
 色々な仕事が滞っているので、とっても不安である。しかし、とにかく一つずつでも片付けていかねば。
 今週末に向けて、文庫書下ろしの打ち合わせがあるし、『数学通信』向けの原稿提出もあるし、秋の学会発表へ向けて大野先生との二人ゼミもある……。
 今日は、先ず本社へ直行し、元部下と学業の相談をした。大野先生からの宿題についてアドバイスが欲しかったのだ。「案ずるより産むが易し」ではないが、行動を起こせばおのずと扉は開かれる。宿題事項と類似の問題について、元部下とかつて議論したことがあり、その記録がしっかり残っていたのである。助かる〜!
 昼休み中に製作所へ移動した。午後は会議漬けで終わってしまった。

7月18日(水)「『数学通信』向けの原稿執筆に専念・・・の風さん」
 もうどうにもピンチだと思ったので、朝起きてから臨時有休を決めた。
 朝食後すぐ書斎に籠もり、夢中で『数学通信』向けの原稿執筆を始めた。他のことは一切せず、である。こういう解説文というか読み物みたいなものは、小説に比べると気楽に書ける。ただ、図表をいくつか入れるので、著作権の問題もあって、どれを入れるべきかは熟考する。
 午前中に、庭のロブキャビンのエアコンが更新された。ワイフ任せ。
 午後は、ワイフは、次女の高校の懇談会に出かけた。留守番状態になったが、幸い、来客も電話もほとんど「なし」。
 ひたすら執筆を続け、午前零時前に、ほぼ完成した。図表も、である。あとは、22日(日)に推敲して電子メールで送信すればよい。

7月19日(木)「文庫書下ろしも進行中・・・の風さん」
 東京へ出張した。仕事は午後4時半に終わった。あまり達成感の得られない仕事だった。
 午後6時に、東京駅近くのホテルで出版社の編集者と待ち合わせて、2回目の打ち合わせ。この間の私の頑張りで、編集者には先が見えてきたらしく、打ち合わせ後、今後の日程がてきぱきと決められた。な、なんと、10月4日発売になるという! え、えー? まだ100枚ぐらい原稿が足りないと思うのだけどぅζ 次回、原稿データを送ったらすぐそれをゲラにして、できればあと1回の打ち合わせで完了させたいという! これは大変なことになった。

7月20日(金)「目指せ甲子園!・・・の風さん」
 当地の梅雨はまだ明けないが、夏の甲子園を目指す地方大会の季節である。新聞のスポーツ欄は見逃せない。母校の秋田高校は順当に勝ち進んでベスト8は当然、既にベスト4に進出している。今日は、雨のため準決勝がなかった。
 長編執筆が昨日の打ち合わせで順調に方向付けがされたので、次の課題は、「明日の大野先生との二人ゼミ」と「明後日の『数学通信』向け原稿提出」である。先ずは、明日だ。
 今朝は早起きして出社。役員と一緒に製作所付近で交通安全立哨をおこなった。愛知県は交通事故が多く、その原因の一つにマナーの悪さがある。交通量の多い交差点に旗やプラカードを持って立っていると、さすがに運転がおとなしくなる。いつもこれくらいなら事故はもっと減るだろうが、だめだめ、うるさい人が見ていないと、乱暴な運転をするクルマはたくさんいる。そういった悪質な運転を取り締まる力は警察にはない(きっと怖いのだろう)。私だけでもイエローストップを心がけよう。
 週末なので急いで帰宅したが、どうにも疲労感がべったりと身体に張り付いている。夕食後、書斎でダウンしてしまった。目が覚めたら午前2時である。それから起き出して、シャワーを浴び、再び書斎に籠もった。明日の二人ゼミのため、日本経営工学会の秋季大会の募集要項をしっかりチェックした。申し込みの締め切りは8月15日、予稿集原稿の締め切りが9月15日である。明日で方向付けを終えなければ。
 午前5時ころにベッドにもぐりこんでみた。

7月21日(土)「秋季大会へ向けてGO・・・の風さん」
 眠ったのか眠っていないのかよく分からないうちに外が明るくなった。しかし、カーテンを開いてみると曇り空。天気予報は終日傘のマークだった。
 大野先生との二人ゼミで使う、研究レポートと生産ラインを紹介する動画ファイルを、USBメモリに入れた。これまで入手した参考文献のハードコピーを、ファイルにきちんと入れた。他にもあれこれあって、全部をビジネスバッグに押し込んだら、すっごい重さ。
 時間もなくなってしまい、慌ててワイフに駅まで送ってもらった。
 往路の電車の中で、辻真先先生の新刊『あじあ号 吼えろ!』(徳間文庫)を読む。600ページを超える大作である。終戦時の満州が舞台でとても面白いストーリーだが、登場人物に大東亜戦争に対する考えを述べさせている点が、辻先生の思い入れだと感じられる。戦争体験者として、後世に残したいものを小説という形にしておられるのだ。意義ある仕事だと敬服する。私もいつかそういう仕事をしたい。
 本山キャンパス近くで昼食を摂り、早めにゼミ室に入った。事務室からノートパソコンとプロジェクターを借り、ゼミの準備をする。ここでやるのは初めてだが、作業そのものは慣れている。準備が終わった頃、大野先生が到着された。
 生産ラインの動画を見ていただき、研究レポートの解説をし、その後、秋季大会へ向けた発表シナリオを提案したところ、ほぼ了解された。これで、あとは10月の発表へ向けて突っ走るだけだ。
 ゼミの後、名古屋へ出て買い物をし、夜は会社の同僚と飲み会をやった。
 かなり酔ってしまったので、帰りの電車であやうく寝過ごすところだった。
 高校野球秋田大会の準決勝は雨の中でおこなわれ、母校秋田高校は延長10回サヨナラで決勝進出を決めた。いいぞー!

7月22日(日)「今年のアルプススタンドから鳴海風の姿が消えた日の巻」
 昨日とうってかわって晴れている。
 夕べは酔っ払っていてすぐ就寝してしまったので、いよいよ『数学通信』向け原稿の最終仕上げ段階である。午前中は、「和算小説一覧表」の改訂版の作成に専念した。
 午後から原稿の仕上げにかかった。pdf化もし、著作権上の問題がありそうなところへもお伺いのメールを送った。
 そうこうしているうちに秋田での決勝戦の結果がインターネット上で流れてきた。
 負けた〜(涙)。甲子園出場となれば、たとえ有休を取ってでも甲子園まで行って、アルプススタンドから応援するつもりだった。しかし、それもできなくなった。ぐやじぃ〜。
 こうなったら、たまっている仕事をどんどん片付けようと、ご無沙汰しているところへメールを送ったりした。しかし、やりきれなかった。
 夕方になって、ワイフと一緒に次女をセントレア空港まで送って行った。ラグビー部のマネージャーをやっている次女は、部のオーストラリア合宿研修に同行するのである。どう考えても誰かの親が行かせたがっているとしか考えられないいい加減な企画だが、次女としては義理でも参加したいらしく、仕方なく許可した。
 わが母校は昨年の花園大会出場を果たした。むろん海外遠征とか合宿などあるはずもない。雪深い季節も雪まみれになって楕円形のボールを追うのである。それに対して次女の高校は地方大会ベスト8止まりだった。今年の戦績もパッとしない。セントレア空港に集まっているラガーを見たら、やせっぽちの集団だった。ラグビーの本場の交流戦で恥をかくことになるだろう。せめてプライベート時間も含めて日本の恥だけはかかないようにしてもらいたい、と思うが、既に私は無力だろう。
 ワイフと空港で夕食を摂り、カンガルーのデザインが尾翼にあしらわれたカンタス航空機が離陸するのを確認してから帰宅した。
 書斎で『数学通信』向け原稿の最終チェックをしてから、電子メール添付送信した。
 いよいよ明日から長編執筆の再開だ。

7月23日(月)「一度他人になったドア・・・の風さん」
 早起きして先週の出版社との打ち合わせ結果を整理した。半分しかできず。
 5週間に1度通っている総合病院へ行った。この間ようやく修理が終わったワイフのクルマを使った。それには理由があった。
 採血をしてから、待ち時間の間に電話を3件。診療科へ移動して読みかけの『あじあ号 吼えろ!』を読み出したら、すぐに呼ばれた。
 今日は、診療科とは直接関係はないのだが、ついでにやってもらった血液検査によるアレルギー判定結果を聞いた。0から5までの6段階評価とのことで、気になっている項目を片っ端からやったつもりだったが、意外とたいしたアレルギー体質ではないという結果だった。スギ花粉とハウスダストとヤケヒョウヒダニが「2」で、猫のフケとかヒノキとかカモガヤ、ブタクサ、ヨモギは「0」だった。
 薬をもらってから、ワイフのクルマを修理した中古車屋へ行った。
 実は、修理した左側のドアのパワーウィンドウが、運転席側のスイッチで動かなくなっていたからだ。ただし、左側のドアにあるスイッチでは上下させることができる。社長はスイッチの不具合ではないかと言ったが、社長の長男がやってきて、すぐに解決してくれた。
 いったんバッテリを切った状態にするとリセット操作が必要になるのだという。
 恐らく安全のためだろう。左側のドアのウィンドウが中途半端な位置で止まったまま、運転席側のスイッチで操作した場合、モータとギアの噛み合いが想定外のところまで進んでしまうとか、そういったことを嫌っているのだ。
 社長の長男が、左側のドアにあるパワーウィンドウのスイッチで、最上端まで動かして3秒間そのままスイッチを押し続ける。続いて、最下端まで動かして、同様に3秒間そのままスイッチを押し続ける。そうするとリセット完了で、運転席側のスイッチで操作できるのだそうだ。……できた。すごい! 修理のためにバッテリから外れた左側ドアのパワーウィンドウは、いったん他人になったのだろうが、再び家族の一員になった瞬間だった。
 昼までまだ時間があったので、本社へ寄って、某部署に作家として顔を出した(会いたい人は残念ながら不在だったが)。
 ついでに昼食を本社で摂ってから製作所へ移動した。
 午後は、まじめに仕事をし、今日は久しぶりに残業もして午後9時前に帰宅した。
 昨夜送った『数学通信』向け原稿と図表は無事届いたという知らせがあって、先ずはひと安心。

7月25日(水)「久々に長女が帰省・・・の風さん」
 なかなか梅雨明けしないせいか、今週の体調はイマイチ。早く就寝しても6時頃に起きるのが精一杯。今朝は本社に出張するため、早々と自宅を出発した。
 製作所に戻ってからも会議会議と連続して、やはり今日も疲れた。
 帰宅したら久々に名古屋ひとり住まいの長女が、帰省してきていた(笑)。あいかわらず仕事は大変らしい。「大衆文芸」7月号に長女のことをエッセイに書いて、それも届いていたが、長女には見せなかった。10年後くらいに見てもらうのがよいと今は思っている。
 昨年の8月、愛知淑徳大学で講義をしたときの記録が、冊子になって届いた。梱包を開くと20部も入っていた。現在、愛工大のPRをせっせとやっているが、愛知淑徳大学のPRもこれでできるな、と思った。
 長女の相手は宵っ張りのワイフに任せて、私はさっさとベッドへ。最近多忙で読書のペースが著しく落ちている。就寝前の読書も15分程度だ。

7月26日(木)「長女の運転練習・・・の風さん」
 帰宅したら、今夜はワイフは飲み会だという。夕食は将来のシェフである長女が担当した。献立はハッシュドビーフ。よく並ぶ簡単メニューだった(笑)。
 超多忙の風さんだが、天気もよかったので、久々に長女に運転練習をさせた。半年ぶりか。
 クルマはもちろんミッシェル。
「オープンカーにして走る?」
「着替えなきゃいけないから、面倒くさい」
 ということで、オープンカーは中止。
 団地の中をぐるぐる走ったが、やはり勘が少し鈍くなっていた。10月の誕生日がきたら、任意保険を「年齢制限なし」から「21歳以上」に変更する。毎月の掛け金はバカにならない。しかし、保険よりも大切なことは、しっかり安全運転のノウハウを教え込むことだ。

7月27日(金)「名古屋で講師・・・の風さん」
 今日は半年に一度の名古屋での講師。会社の仕事である。昨夜も準備をしたが、半年に一度だと忘れていることが多く、復習が必要だ。今朝も早起きして復習しようと思ったが、スライドを1枚追加するのに手間取って、復習はできなかった。
 行きの電車の中では、読みかけの『あじあ号、吼えろ!』を読む。大作なのでなかなか読み終わらない。しかし、終戦間際の満州を舞台にしたエンターティンメントだが、登場人物に戦争に対する立場と思いを随所で語らせていて、貴重な戦争記録ともなっている。
 講義は毎回力が入ってしまう。受講者が次長、課長クラスつまりマネージメント層だからだ。前回の受講者アンケート調査結果を見た。10人ぐらいいる講師陣の講義を、約20人の受講生が、「理解度」と「有効度」の視点で5段階評価した結果だ。前々回は両項目ともに私の講義がトップの点数だったが、今回はF講師にいずれもトップの座を奪われた。悔しい。次々回にトップ奪還を目指して頑張らねば(今回の結果は半年後に判明する)。
 日中の気温がうなぎのぼりに上がって、やっと梅雨が明けた。
 帰りに床屋に寄った。就職して当地に来てからずっと利用している床屋だ。終わって帰るときの会話が面白かった。レジでの会話だ。
 マスターが
「おいくらですか?」
 と聞くので、料金を知っている私は、
「@千円です」
 と答えた。
 これでは立場が逆である。
「今の会話っておかしくありません?」
 私が聞くと、
「当店の料金は、自己申告制となっております」
 だって!

7月28日(土)「1輪のひまわり・・・の風さん」
 早朝から玄関のチャイムで起こされた。しかし、誰も応答できない。皆、まだベッドの中だからだ。
 やがて、家の裏で草刈り機のエンジン音が響き出した。シルバーさんに依頼してあった駐車場の草刈りが始まったのだ。老人は朝が早い。私も老人だが、最近疲労気味で朝起きられない(笑)。
 梅雨が明けたら、夏らしい青空で、今日も暑くなりそうだった。
 自宅でリラックスした長女をミッシェルで駅まで送った。
 草刈りが終わった駐車場を見ると、進入口にあったひまわり1本だけが刈り残してあった。どこから種が飛んできたのか知らないが、1輪だけ咲いたひまわりが、周囲の雑草よりも高く伸びてすっくと立っている気高さは、シルバーさんの草刈り機も寄せ付けなかったのだ。私はあとで記念に写真を撮っておいた。
 長女は、午後から仕事である。がんばれー。
 本格的に執筆に復帰した。10月発売なので、もう時間がない。
 ……とはいえ、今日は職場の飲み会だった。職場の勤労関係の仕事をしてくれていた女性の交代に伴う飲み会である。
 炎天下歩いて最寄の駅へ向かった。帽子とサングラスでガードしているが、これは若作りのための涙ぐましい行為でもあった。職場の飲み会で女性が来るということは、平均年齢が著しく下がるのである。そのような中に、私のような爺(じじい)が交じっているというのは何とも情けないのだ。これが、作家としての参加となると、突如図々しい気持ちになるから怖い面もある。内心、渡辺淳一よりは若いぞ、と思うが、むろん口には出せない。
 案の定、飲み会は若者であふれ返った。なるべくおとなしくしていたが、最後の方になったら、盛り上がって、かなり酒席は乱れてきたので、私もその仲間に入った。
 しかし、帰るときはさっさと消えた。
 帰宅して、急いで入浴して寝た。明日も朝から頑張ろう。

7月29日(日)「ダイハード・・・の風さん」
 昨日と同様に今日も良い天気だ。参議院選挙の投票率も高くなり、国民の妥当な判定結果が出るだろう。
 夕方まで執筆を頑張ったが、思い通りのところまで進まなかった。会社のスケジュール表を確認して、次の火曜日を緊急有休にすることを決めた。
 今日は、ワイフと名古屋まで映画を観に行く約束だった。
 小説家鳴海風は、会社員として、最近追加した大学院生として、そして夫として父親として地域住民としても、精一杯頑張らねばならない……と思っているから、早死に覚悟だ(笑)。
 出かける前に、地元の図書館の司書の方から電話があった。新しい町長に私の存在をPRしておいたから、何かあったらよろしく、というものだった。それはそれでうれしいことだが、この司書の方とは地元の図書館が出来るときからの知り合いということもあり、私のことをとても贔屓にしてくださる。それに甘えてばかりはいられないので、私の近所には音楽や彫刻といった芸術家も住んでおられます、そういった方たちも宣伝してあげてください、と伝え、後日、具体的な名前などをお知らせすることにした。
 執筆ばかりではいけないので、10月末の講演のためのプロフィール作成もやった。
 ワイフと投票所に寄ってから最寄の駅へ向かい、名古屋へ出かけた。
 行きの電車では、また『あじあ号、吼えろ!』を読んだ(老眼鏡をかけて)。
 名古屋で少し買い物をし、イタリアンで夕食を摂ってから映画館へ入った。
 いつになく名古屋駅周辺は人が少なかったが、映画館の中も閑散としていた。
 観たのは『ダイハード4.0』。4.0と点ゼロがついていることでも分かるように、今回はマクレーン刑事はサイバーテロとの戦いである。コンピューターに詳しい相棒はちゃんと用意しておいて、いつもながらの不死身の活躍である。ジェット機から飛び降りても死なない。自分の身体を貫通させてピストルを撃って相手を倒すくらいのすさまじさだ。面白いが見ているだけでこちらも疲れるし身体が痛くなる。
 ブルースウィルスも年をとったが、こういったタフネスぶりを発揮した映画を今後も観せてほしい。私も精神的にはダイハードのつもりだ……無理か(^_^;)。

7月30日(月)「時事放談・・・の風さん」
 昨夜はさっさと寝たが、普通に起きてみれば、当然の結果が新聞に出ていた。参議院選挙で自民党歴史的大敗である。あれだけ不祥事を連発させながら、国民に納得のいく説明も態度も見せていなければ、国民は「馬鹿にするな」と怒るに決まっている。投票率も58%と前回より2%増えたようだし、まあまあ国民の意見が反映されたと見ていいだろう。
 勝った民主党も、以前似たケースで上り坂から一気に転げ落ちている。敵失での勝利であることを自覚する必要がある。
 今日は時事放談の風さんでした(笑)。

7月31日(火)「突発緊急臨時有休・・・の風さん」
 長編執筆ピンチのため、突発緊急臨時有休を取得した。
 早朝から起き出して、書斎にこもった。今日も晴天だが外には出られない。仕方ない。
 加筆修正の手が入っていないのは後半部分だが、最初から直していかないと、辻褄が合わなくなってしまう。それで先日から、とにかく頭からリファインに取り掛かっている。つぎはぎだらけの作品なので、随所にほころびがある。それらを丁寧に直していくので時間がかかるのだ。それでも、昨年の『ラランデの星』に比べたら、想定している最終の原稿枚数は半分なので、何とかなるだろうと思っている。
 1時間半から2時間やるごとに休憩をとりながら継続した。
 朝刊トップの下の部分に、おどろおどろしいタイトルの本の宣伝が並んでいた。珍しいな、と思っていたら、新鷹会の松岡弘一さんの『妖猫剣』も出ていた。6月の長谷川伸の会でのスピーチで盛んにPRしていた新刊だ。松岡さんにとって初めてのハードカバーかもしれない。売り込みに力が入るのがよく分かる。早速bk−1の「あとで買うリスト」に追加しておいた。
 夕食前まで頑張ったが、予定の半分のペースである。本当に私は仕事がのろい。
 昨日は土用の丑ということで「うな丼」だったが、今夜は「あさりの酒蒸し」。ワイフが白ワインを取り出したので腰が引けた。酔っ払ったら最後、今日の執筆はジ・エンドとなる。「飲まない」と言ったら睨まれたので、恐妻家の風さんはとりあえず一杯だけ付き合った(意思薄弱〜)。
 何とか午後11時まで執筆に専念した。今度の土日が稼ぎ時なので、今日予定していたところまで、金曜日の夜までに到達すればよしとしよう。
 夏の甲子園、地方大会、母校秋田高校(過去19回出場)は決勝で敗退したが、ここ愛知県は今日が決勝だった。勝ったのは愛工大名電である。愛工大? そうかあ。今年から愛工大大学院に通う風さんにとって関係ない高校ではない。秋田県の10倍もある184校の頂点に立ったわけだ。きっと甲子園でも活躍するに違いない。

07年8月はここ

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